AIによって奪われたものは実はそんなにない気がしてきた
AI 開発、断続的に幻滅期に入る。最近は Opus 5 と Astra に色々任せてみた結果、思ったより良い感じにならなかったことで幻滅期へ。 巷では AI に仕事に任せられないのは使いこなし力が低いからという話題で持ちきりで、ゲンナリ感に拍車がかかる。 そんな中 Rails World で DHH のセンセーショナルなキーノートが出たらしく追い打ちが…
と思っていたのだが、シルバーウィークであまり触れていなかった Opus 5.5 を使ってみるとかなり良い感じ。 DHH のキーノートも視聴してみたら(あまり同意できない内容やその表現は…な部分はありつつも)楽観的であるべきことなど頷ける内容も随所にある。
そして、改めて「自分がこれまでソフトウェアエンジニアとして積み上げてきたものでAIに毀損されたもの」があるかを考えてみたのだが、実はこれと言ったものは思い当たらないことに気づいた。
コーディングは嫌いではないが X で見かけるような息を吐くようにコードを書く人間ではないし、特定の開発言語や技術に深く習熟することで市場価値を高めてきたわけでもない。 これまで積んだ経験や技術書から得た知識は AI とやり取りする上での土台となっていて無駄に思えることもない。
むしろ AI によってできることが、ただただ増えている。これまであまり手が出せてなかったパフォーマンス改善も軽微な文言修正レベルの指示で AI がやってくれたりするし、理解が難しかった技術書や論文も AI と壁打ちしながら読み進めることで理解度が段違いになる。あまり得意ではないフロントエンド領域やデザイン領域も、ちょっとした改善であれば手が出せるようになってきている。
ただ、自分の能力や理解レベルを過信しないようにすること、AI 出力の評価を周りに押し付けないこと、は心がけたい。 これらを意識しないと信頼関係が崩れていく。ある意味これが AI によって間接的に奪われうるものなのかも。